いつもお世話になっております。
代表の北村でございます。
平素は、RCSグループ、株式会社ロイヤルカーサービスをご愛顧賜り、心より御礼申し上げます。
2月も、はや半月が過ぎました。
2月12日に、大阪に出張に行きましたが、電車の中も、歩いている人も、お店の人もマスクをしていて、していない方の方が少なかったです。因みに飛行機のCAさんも全員がマスクをされていました。やはり、都会の方が、コロナウイルスの脅威を身近に感じていることを目の当たりにしました。
さて、2月10日に高知県四万十市(旧中村市)に恩師の墓参りと偲ぶ会に出席して参りました。恩師のお名前は、佐竹章夫先生とおっしゃいます。
佐竹先生は、工業用精密ろ過機で世界最大手である、日本ポール株式会社の代表取締役社長、米国ポールコーポレーション社の上席副社長も兼務された経済人で、郷里の高知県中村市(現在の四万十市)への恩返しで、中村商工会議所の顧問を11年間に亘り務められました。その中村商工会議所の顧問在任中に、若き企業経営者達への経営勉強会「波多やる気塾」を10年間に亘り開講して頂いたのですが、私は中村の人間ではなかったにも関わらず、ご縁もあり特別に受講させて頂きました。毎月1回開講頂き(8月は除く)、殆ど毎月参加させて頂きました。その当時、片道3時間半をかけて参加させて頂きましたが、それだけの値打ちがありました!
「波多やる気塾」では、優れた社長を育成することを目的に、①企業経営の基本を学び身につけさせる、②社長としての教養を高める、③地域発展に貢献する、ことをモットーに、社長に必要な7つの資質、即ち、「志」「統率力」「人格力」「戦略力」「人づくり」「考える」「体力」と、社長に必要な教養項目である「読書」「歴史」「文化」「政治」「文学」など24項目を教えて頂きました。
また、佐竹先生の御交友の中から、多くの素晴らしい方々が中村に来られ、私もお逢いさせて頂きました。
外務省 元事務次官 藪本三十二氏、旭化成 元社長 山本一元氏、野村証券 元社長 田淵義久氏、野村証券 元専務 津田晃氏、アサヒビール 元名誉顧問 中條高徳氏(2014年12月24日没)等、多くの雲の上の方々と、佐竹先生の山小屋「止心庵」で交流をさせて頂きました。各界で結果を残された方々と盃を交わさせて頂いたことは、私の生涯の財産であり、その時に頂戴した数々のお言葉は私の人生の指針となっております。
その中でも、お二人の方とは幾度もお会いさせて頂き、可愛がって頂きました。
まず、野村証券 元代表取締役専務 津田晃氏とは何度も盃を交えながら、「営業」、「経営」、「気配り」、について教わりました。2013年10月には、津田先生にご案内頂き、佐竹先生と塾生達と一緒に、京都南禅寺にある野村別邸「碧雲荘」へお供させて頂きました。野村別邸は、野村証券創業者の野村徳七翁が、11年の歳月をかけて「もてなし」の真髄にこだわって造り上げた別邸です。日本人としてのアイデンティティ、礼儀や道徳心、「おもてなし」の心について考えさせられました。
そして、もうお一方が、アサヒビール 元名誉顧問 中條高徳氏です。
中條先生は、2014年12月24日に他界されておりますが、混沌とした今の世の中を生き抜くためには、小手先のテクニックやノウハウではなく、人間としての根幹をしっかりと持つことが大切だと教えて頂きました。佐竹先生を交え、中條先生とも夜遅くまで杯を酌み交わす機会を頂戴し、中條先生に様々な質問をしお答えいただきましたが、中條先生のお言葉は非常に重みがあり、それでいて回答は明快でした。人としての器、奥行きが圧倒的で、手を抜かない。畏れ多いですが、私の憧れの御方です。
そして、中條先生にはお忙しい中、2011年11月7日に松山市民会館で「日本人の気概 ~アサヒビール起死回生の経営戦略~」と題したご講演を頂きました。600名を超える方々に聞いて頂きました。講演の中で最も心に残ったのが、「民族・国家が衰退する三原則」でした。
①、夢や理想を追い求めない、持てない。
②、物(金)を追い求め、心を失う。
③、自国の歴史を追わない。
これは、民族・国家だけでなく、企業経営にも通じると感じたのをはっきりと覚えています。
中條先生が生きていらっしゃったら、心ある・魂ある・根っこのある「働き方改革」を問われることでしょう。
松山での御講演の翌日は、松山観光のアテンドをさせて頂きました。「坂の上の雲ミュージアム」では、中條先生の足が急に動かなくなり、車椅子でアテンドさせて頂くことに急遽なったのですが、隣接する萬翠荘(国の重要文化財)を指差し、「学習院の同級生だった久松君(松山藩藩主の御子孫)のところに遊びに来たのを思い出したよ。この足は久松君が悪戯をしたんだな。」と笑顔で仰ったことを覚えています。道後温泉本館にも中條先生はお入りになりました。
中條先生から頂いた自筆の御礼状と、同封されていた書籍類の抜粋コピーは私の人生の道標です。今も、私の宝物として大切に保管しています。
津田先生、中條先生とお会い出来たのも、全ては佐竹先生の「波多やる気塾」のお陰です。
私の経営者としてのバックボーンは、佐竹先生からのご指導とご縁に依るところが大きいです。
佐竹先生、中條先生からすると、私なんてまだまだひよっこですが、お二人の素晴らしい恩師から受けた薫陶を胸に、どんなに苦しくても、どんな困難に出くわそうとも、粘り強く乗り越えていきたいと思っております。
佐竹先生、中條先生のご冥福を心よりお祈りしています。
そして、昨日2月14日はバレンタインデーですが、私にとっては父(先代社長)の命日です。
平成12年2月14日に亡くなってから20年。私が社長になってから20年の節目です。
20年も経ちましたが、まだまだ何一つ満足に出来ておりません。
焦る気持ち、逸る気持ちを抑え、地に足をつけ、一つずつ着実に取り組んで参りたいと思います。
それでは2月後半戦もポジティブに頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します。
これからも、変わらぬご愛顧とご支援の程、宜しくお願い申し上げます。